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はじめに(公開をするにあたって〜2006年1月21日記す) [はじめに]

1999年9月。趣味でやっているトライアスロンでバイクの落車が多いことから、三半器官か何かと思ってお茶の水の順天堂医院を訪ねると、そこで脳神経内科に回され、パーキンソン病と診断された。そこで処方されたメネシット(Lードゥーパ製剤)を飲むとバランスも良くなり、その後トライアスロンレース(51.5km)にも出場した。
2000年2月。退社のための代休消化期間中に、恵比寿のスポーツクラブプールで立ちくらみ、転倒・落下し3週間の入院。その日は、午後1km4分半前後で10kmのランニングをして、恵比寿のプールに行っていた。当日身体が冷えていたこともあり、ジャグジーに少し長めに入っていた。ランニング後に食事もしていなかったことで空腹もあったのだと思う。そろそろ泳ごうかとジャグジーから上がったところで、立ちくらみがおきた。しばらくそこで収まるのを待てば良かったのだろうが、手すりにつかまりながら階段を降りようとしたところで一瞬意識が途絶えた。ジャグジーの出口は1m50くらいの階段になっていて、そのまま私は頭から落下した。耳から血を流した私は、意識、呼吸、脈ともあった。救急車が呼ばれ、順天堂医院脳外科に入院することになった。
集中治療室へ9日間入れられたあと、一般病棟に移り、3週間で退院した。一般病棟に移ったあとも入院から2週間は安静で頭を上げることも許されなかった。もちろん枕はなしである。
外傷性くも膜下出血、脳髄液漏、頭蓋骨骨折、脳挫傷、鎖骨骨折との診断だった。
この入院中に、遺伝子検査がされ、パーキンソン病から脊髄小脳変性症(マシャド・ジョセフ病)に診断が変わった。脳挫傷のけいれん止めにデパケンが処方され、その後2年間服用した。
参考までに、私の入院前の主な運動能力は、以下の通りだった。
ハーフマラソン:1時間29分52秒(1998年5月)
フルマラソン :3時間25分34秒(1999年2月)
    (参考)3時間21分38秒(1994年3月)
その他    :1994年宮古島トライアスロン  10時間39分59秒
        1994年 佐渡A トライアスロン 11時間58分53秒
        ※1995年夏に腰痛(ぎっくり腰?)で調子を落としてしまった。

入院後現在(2003年7月)までのベストは、ハーフマラソンで2時間05分34秒(2003年1月)である。
フルマラソン、トライアスロンはまだ出場していない。


※ このブログをまとめた『ふらふら日記』を出版してから4年が過ぎた(奥付は2007年11月10日)。その本に収められている分(2003年7月20日~06年8月14日)の記事の公開を停止した。
この期間の僕は、まだ歩けていて定期的にスポーツジムに通い、自己流のリハビリを続けていた。その頃の悩みといえば、病気をカミングアウトできないことだった。親しい友人、仕事上のつきあいのある人たち(漫画家)、妻のご両親などに(遺伝性であるが故に?)病気であることを打ち明けられずに、苦しんでいた。
治らない病気なら、この先、生き続けることになんの意味があるだろうと、思い悩みもした。そんな時、高校時代の水球のチームメイトでとても親しい友人が胃ガンになり手術を受けたことを知った。彼を見舞った僕はその時彼に「生きろ!」と祈った。しかし帰ってからある疑問が浮かんだ。「何故、自分は死にたいのに、友人は生きろなんだ……?」
その疑問に、僕なりに出した答えは、僕に生きる力を与えてくれた。
この病気にかかった患者が、必ず陥る心理的な壁については拙著『ふらふら日記』を読んでいただきたい。
(2011年11月10日)
※ 去年、このブログのうち拙著『ふらふら日記』にも掲載している期間の記事(2003年7月20日~06年8月14日)を公開停止にしていた。
しかしその『ふらふら日記』も、おかげさまでamazonで品切れ状態になるなど、入手困難になってきたので、再びその期間の記事を公開することにした。
病気の症状はまだ軽いが、それゆえ陥ってしまう心理的落とし穴についての体験は一読の価値ありかも…。
(2012年9月11日)

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